柳川城址 [旅行・ドライブ(福岡県)]
ねじの地元にもお城はあるんですよ
柳川城址
柳川城は、蒲池治久により築城された城郭で、城下町は現在の柳川市の元となった。別名の舞鶴城の名は、鶴が舞うように美しいという城のシルエットによる。平城で「御家中絵図」(寛政3年(1791年))によると、外堀に囲まれた御家中(現在の柳川市城内地区)の中央よりやや南西よりに本丸と二の丸が東西に並んでおり、内堀を隔てた三の丸が本丸・二の丸を取り囲んでおり、その外側に武家集住地域が展開していた。三の丸には立花一門・両家や家老の屋敷、御厩屋、天満宮、長久寺、常福寺、三ノ丸蔵が置かれた。掘割に包まれた天然の要害をなし、城内、市街には無数の堀が縦横に交わり今も柳川の堀川として現存する。蒲池氏の城主時代に「柳川三年肥後三月、肥前、筑前朝飯前」と大友氏陣中で歌われた戯れ歌にもあるように攻略には3年かかるという九州屈指の難攻不落の城と謳われた。(Wikiより)
明治5年に失火もしくは放火によって焼失しているので石垣しかないです。
残念><
本丸跡に建つ石碑
天守台跡は柳城中学校の運動場の一部で、地元民からは「へそくり山」って呼ばれてます。何でか分かりません(^_^;)
水郷柳川の名前通り、城の周囲に水路を縦横に張り巡らせてます。
ちなみに市役所の壁には柳川城が…^^
いつか天守を復元して欲しいなぁ
場所DATA
所在地:〒832-0061 福岡県柳川市本城町
柳川城址
柳川城は、蒲池治久により築城された城郭で、城下町は現在の柳川市の元となった。別名の舞鶴城の名は、鶴が舞うように美しいという城のシルエットによる。平城で「御家中絵図」(寛政3年(1791年))によると、外堀に囲まれた御家中(現在の柳川市城内地区)の中央よりやや南西よりに本丸と二の丸が東西に並んでおり、内堀を隔てた三の丸が本丸・二の丸を取り囲んでおり、その外側に武家集住地域が展開していた。三の丸には立花一門・両家や家老の屋敷、御厩屋、天満宮、長久寺、常福寺、三ノ丸蔵が置かれた。掘割に包まれた天然の要害をなし、城内、市街には無数の堀が縦横に交わり今も柳川の堀川として現存する。蒲池氏の城主時代に「柳川三年肥後三月、肥前、筑前朝飯前」と大友氏陣中で歌われた戯れ歌にもあるように攻略には3年かかるという九州屈指の難攻不落の城と謳われた。(Wikiより)
明治5年に失火もしくは放火によって焼失しているので石垣しかないです。
残念><
本丸跡に建つ石碑
天守台跡は柳城中学校の運動場の一部で、地元民からは「へそくり山」って呼ばれてます。何でか分かりません(^_^;)
水郷柳川の名前通り、城の周囲に水路を縦横に張り巡らせてます。
ちなみに市役所の壁には柳川城が…^^
いつか天守を復元して欲しいなぁ
場所DATA
所在地:〒832-0061 福岡県柳川市本城町
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