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湯布院旅行2019春~その12 福澤諭吉旧居・福澤記念館 [旅行・ドライブ(大分県)]

中津城の次はここ。
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福澤諭吉旧居

福澤諭吉とは「天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下級武士福澤百助の次男として生まれました。1歳6ヶ月の時父と死別し、母子6人で中津に帰郷。貧しくとも信念を持った少年時代を過ごし、14歳になって儒学者白石照山の塾に入りました。安政元年(1854)、19歳の時蘭学を志して長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵の適塾で猛勉強に励みました。安政5年(1858)には、藩命により江戸の中津藩中屋敷に蘭学塾を開きました。これが慶應義塾のはじまりです。西洋の語学力と知識をたくわえたいと考えた諭吉は、万延元年(1860)「咸臨丸」に乗り込み渡米。以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、社会の制度や考え方などに旺盛な好奇心で見聞を広めました。その後『西洋事情』『学問のすゝめ』『文明論之概略』などを続々と著し、当時の日本人に西洋文明の精神を伝えました(HPより)」

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実はねじが高校生の時に自転車(!)で別府までスタンドバイミーした時に、一泊目を中津に泊まったんですよね~。で、観光した処がここだったという…と言うかここしかしてないという(^_^;)

いやぁ~、懐かしい。当時も中に入らなくて今回も時間の都合で断念。次回来た時は…って、当時は気付かなかった(なかった?)んだけど、駐車場横に白石照山先生記念碑があるみたいなので、行ってみます。

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湯布院旅行2019春~その11 黒田官兵衛資料館 [旅行・ドライブ(大分県)]

中津城に来たら、ここにも寄らなきゃ…ということで。
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黒田官兵衛資料館

中津城のすぐ側にあって入館は無料。
黒田官兵衛の豊前統治時(1587年~1600年)に関する展示館で、地元豪族の宇都宮氏との戦いや九州平定に向けた戦いを解説。黒田官兵衛って秀吉の軍師としか知らなかったので、なかなか興味深かった。相方さんも真剣に見てたので、これで歴史に興味を持ってお城巡りに付き合ってくれたら嬉しいなぁ

場所DATA
所在地:〒871-0050大分県中津市二ノ丁1273-2
営業期間(開館時間)9:00~17:00(夏季延長あり)
休館日:年中無
お問い合わせ:0979-64-7122
ホームページ:http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2016042600083/
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湯布院旅行2019春~その10 中津城(その2) [旅行・ドライブ(大分県)]

さぁ!城内(笑)に突入です^^
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天守閣の中は資料館(奥平家歴史資料館)になっています
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この中津城、黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた城。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていたので、奥平家の資料が多いのかな。

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もうテンションMAX

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湯布院旅行2019春~その10 中津城(その1) [旅行・ドライブ(大分県)]

いよいよ、今回の旅行の最大の目的地に到着!
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中津城

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おー!カッコいいぞ!

「中津城(なかつじょう)/中津川城(なかつがわ(の)じょう)は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。県指定史跡。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた(Wikiより)」

中津城

ちょっとねむねむさんの相方さんを車に放置して城の周りを一周です^^

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うん。いいね^^
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石垣見るだけで、テンション上がる上がる

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石垣からはみ出すような不安定感がカッコいい^^

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中津城をバックに黒田官兵衛さんと光姫さんを…
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さ、車で寝ている相方さんを無理やり起こして連れてお城へGO!

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湯布院旅行2019春~その9 宇佐神宮 [旅行・ドライブ(大分県)]

中津市へ向けて運転中に案内板を見つけ急遽立ち寄ることにしました
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宇佐神宮

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初めて来ました。

「宇佐神宮(うさじんぐう)は、大分県宇佐市にある神社。式内社(名神大社3社)、豊前国一宮、勅祭社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約44,000社ある八幡宮の総本社である。石清水八幡宮・筥崎宮(または鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つ。古くは八幡宇佐宮または八幡大菩薩宇佐宮などと呼ばれた。また神仏分離以前は神宮寺の弥勒寺(後述)と一体のものとして、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していた。現在でも通称として宇佐八幡とも呼ばれる。(Wikiより)」

宇佐神宮

最初の鳥居をくぐると、蒸気機関車が…
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宇佐参宮線26号蒸気機関車(大分県指定有形文化財)

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「この機関車は明治24年(1891年)にドイツ・ミュンヘン市のクラウス者が製造、明治27年に九州鉄道(株)(国鉄・JRの前身)が購入し活躍していましたが、昭和23年機関車の大型化に圧せれ大分交通(株)に譲渡の後、宇佐参宮線の主役となりました。宇佐参宮線は、大正5年(1916年)3月開業し、昭和40年8月に廃止されました。26号機関車は形式10、製造番号2550号、最大長7.509m、高さ3.616m、幅2.546m、運転装備時重量23.36tで、実に71年間にわたり活躍しました。(現地案内板より)」 

すぐそばに宮本武蔵 誠心直道之碑
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なぜ?ここに宮本武蔵?宇佐神宮と関係があるのかな。調べてみたら、どうやら愛用していた赤樫の木刀が宇佐神宮に保存されているそうですね。宮本武蔵と伊佐神宮って繋がりあったのかぁ。

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湯布院旅行2019春~その6 岩風呂(湯布院別荘 四季彩ホテル) [旅行・ドライブ(大分県)]

さぁお風呂の時間だ!食事の後、貸切風呂へ。

予約時間になったらフロントへ行くと、フロントの方が貸切風呂まで案内してくれました。説明しながらお湯を入れてくれます。どどどどと凄い勢いでお湯が出てくるけど(汗)、一定量が出ると自動で止まるそうです(安心)。熱かったら、この混ぜ棒でかき混ぜてねと言いながらフロントの方は出て行かれました。「鍵掛けるの忘れないでね」とも。そうだった(^_^;)
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入れる時間は45分。時間がないので入りましょう、そうしましょう^^

良い湯でした。ただ45分というのが長いようで意外と短い。あっという間でした。その後、大浴場(露天風呂)にも行こうと相方さんが言うので、フロントに説明書(?)を返して、返す刀で大浴場へ。露天風呂は2ヶ所あって朝晩で男女が入れ替わるシステム。入り口で分かれて中に入ります。2度目の風呂なので直接露天風呂へ。底に細かい玉砂利が敷きつめられていて、一瞬ビックリ。こういうの初めてなので。でも慣れてくると座り心地が良い。湯の温度がちょうど良かったのでゆったり出来ました…が、外国の方が宿泊していたのか、集団で来て、大声で喋る&泳いだりでちょっとゲンナリ。注意書き書いといてよと思ったけど、まぁ仕方ないかな。でもさっき貸切に入ってて良かったと痛感です。

部屋に帰る途中で湯布院の町を眺めます^^
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明日は中津城だ!楽しみ^^

おやすみなさい。
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湯布院旅行2019春~その4 湯布院別荘 四季彩ホテル [旅行・ドライブ(大分県)]

さて今日のお宿です。

ちょっと道に迷ったお陰で、丁度チェックイン時間に到着です(^_^;)

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湯布院別荘 四季彩ホテル
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チェックインで中に入ると、鎧が待ってました。
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これにはビックリ(*_*)

四季彩ホテルには、大浴場と貸切風呂があって、チェックイン時に貸切風呂を予約できるシステム(追加料金は不要)。ねじたちはチェックインが17時だったので空いてるかなぁと思ったのですが、運良く岩風呂が空いていたので予約することに。で、料金前払いにはちょっと驚きました(てっきり帰る時に払うと思っていたので)(^_^;)

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湯布院旅行2019春~その3 道の駅 ゆふいん [旅行・ドライブ(大分県)]

ようやく湯布院突入です。

またまたトイレ休憩で、道の駅に
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道の駅 ゆふいん
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相方さんはお土産を物色中。ねじも職場のはここで先に買うことに。師匠のお土産もここで買うか悩む。まぁ先でも帰るだろう…と軽く思い出発。この選択が後で悲劇を招くとはその時のねじは思いもしなかったのである(なんてね)。

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これ、お土産に買って帰るか悩んだのは内緒(^_^;)

さぁ!目的地までもうすぐ。あと一分張りです^^
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店DATA
予約・お問い合わせ:0977-84-5551
住所:大分県由布市湯布院町川北899-76
営業時間:物産館 9:00~17:30、御食事処 岳庵 11:00~17:00(L.O.16:30)
日曜営業
定休日:無休
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湯布院旅行2017~その8 岡城跡その2 [旅行・ドライブ(大分県)]

本丸目指してずんずん歩きます。
入城券を買う所に杖が置いてあったんですが、成程いるわ。結構疲れます(^_^;)

西中仕切から見た石垣

あ、よく見るヤツだ。ただ(去年の地震の影響かな)工事中で、足場があったのが残念でした(足場が写らないようにするのが大変でした)。





二の丸跡

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湯布院旅行2017~その7 岡城跡その1 [旅行・ドライブ(大分県)]

到着!(目的地)岡城跡です。

萩旅行の時に続いてお城巡りです。相方さんの視線が痛いです(^_^;)

岡城とは「文治元年(1185年)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが始まりであるという。その山城は、南北朝時代の建武元年(1334年)に後醍醐天皇の支持を受けた大友氏一族[1]の志賀貞朝によって拡張され、岡城と名付けられたとされている。一方、『豊後国志』によると、志賀氏が直入郡に入ったのは応安2年(1369年)以降のことで、同郡内でも岡城に入る前には木牟礼城(騎牟礼城)を居城としていたという。天正14年(1586年)、先に耳川の戦いで敗れ衰退した大友氏を下すべく、薩摩の島津氏が豊後府内に迫る快進撃を見せていた中、岡城のみは志賀親次の指揮のもと再三にわたり島津軍を撃退し、親次はその功績から豊臣秀吉より天正15年正月3日付けの褒状を受けている。豊臣秀吉の時代の文禄2年(1593年)文禄の役で大友吉統が秀吉から鳳山撤退を責められ所領を没収されると、大友氏重臣の親次も岡城を去ることとなった。翌、文禄3年(1594年)播磨国三木から中川秀成が移封され、入城後に3年がかりで大規模な修築を施した。この修築では、縄張設計に石田鶴右衛門、三宅六郎兵衛、石垣普請に山岸金右衛門などが携わり、志賀氏時代の城域の西側天神山に本丸・二の丸・三の丸御殿・櫓を造営し、城の西側を拡張、重臣屋敷群を設けた。本丸に御三階櫓を設け、城門は志賀氏時代の大手口であった下原門に加えて近戸門を開き大手門を東向きの下原門から現在見られる西向きの位置に改め、3口とした。また、城下町は志賀氏時代の挟田に加えて西方に竹田町が整備された。2代久盛の代には清水門が整備され、3代久清の時に西側の重臣団屋敷を接収して西の丸を築き御殿を造営している。岩盤の台地の上に築かれたため、台風や地震、火事などの被害を多く受け、特に8代中川久貞の明和8年(1771年)には本丸、西ノ丸、御廟など城の大半を焼く大火が起きている。明治維新後、廃城令によって廃城とされ、明治4年(1871年)から翌年にかけて城内の建造物は全て破却され、現在残っているのは高く積み上げられた石垣のみである(wikiより)」



岡城は滝廉太郎「荒城の月」のモデルの城跡。登坂の所にあるお土産屋さんで、荒城の月のメロディが流れてたんですが、知らない?観光客が「何でこの曲?」って言ってたのを聞いた店の人が椎茸茶(これが美味しかった)を配りながら説明してた…それを横で成程成程と聞いていた^_^



大手門への登り坂で一枚です

紅葉が綺麗です^^

大手門

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